過ぎ去る時、新しい場所

このお話は:
新手のイベントを前に浮かれているナデシコBの クルーを見守るルリ。彼女には、この時だからこそ 思い出されてやまない場所があった。
一言:
ルリがナデシコBに乗り込んでしばらくたった頃の お話です。彼女の胸中には何が去来するものは何だった のでしょう。 お楽しみください。


長ぉ!」
 上部ブリッジのドアが開くのと同時に、威勢の良い声が響いてきた。パイロット・スーツを着込みヘルメットを脇に抱えたサブロウタが、颯爽とした足取りで入ってくる。
 艦長席に座っていたルリは、椅子をくるりと回転させて彼の方へ向き直った。
「お帰りなさい、サブロウタさん」
「お帰りなさぁい」
 ルリとハーリーの言葉を受けたサブロウタは、鮮やかな光を放つパネルのはめ込まれたコンソールのそばに立ち止まって軽く敬礼をし、片目を閉じてみせた。
「本日も、異常なし。ちょっと気がついたところは捜査記録に付け足しておきましたんで、後で見といてください。それから引き継ぎの方も無事終了、です」
「お疲れ様でした。でも基地のパイロットさん達、本当に今日夜勤で良かったんでしょうか」
 サブロウタはコンソールの上にヘルメットを投げ置くと、自分の椅子にどっかりと腰を下ろし高く足を組んだ。
「地元の事は地元の人間に任せて、イベントでも何でも好きにやっててくれ、とか言ってましたよ。ここのところ外部の艦船の出入りが多いもんで意地になってんじゃないのかな?」
 サブロウタは両手を頭の後ろに組んで言い流していた。ルリは彼の様子を眺めながら率直に答える。
「それじゃ、まあ、お言葉に甘えておきましょうか。後でお夜食を持っていきますよ」
「あぁ、そりゃいいですね。あの二人、ウチの食堂の飯はかなり気に入ってるみたいだから――」
 彼の言葉を遮って、音とともにコンソールの上に突然ウィンドウが開いた。なぜかミラー・ボールやスポット・ライトのまぶしい照明を背景に、ドライアイスのスモークがたなびく中、整備班用の青い作業服を着た二、三人の男の立っている映像が見える。中の一人がやおら画面に顔を近づけて大声で話しかけてきた。
「おぉい、サブロウタ! 戻ったんならちょっと手貸してくれや。ステージ組み直してんだよ」
 呼ばれたサブロウタは上半身を起こしたが、横目でウィンドウを見ると溜め息混じりに返答した。
「まだやってたんすかぁ? それにそのスモーク、またオモイカネか」
 男が映っているウィンドウの隣にもう一つのウィンドウが開き、大きな丸と、『大サービス!』という文字が描かれた。オモイカネの返答である。
 ウィンドウの中の男は両手を広げて言葉を返す。
「わかってねえなあ、まったく。こういうのはな、凝りに凝った方が盛り上がるんだよ。とにかくよろしく頼むわ。それと格納庫組も、手が空いたらこっち来ーい!」
「うぃーす」
 男の呼びかけに対して、ブリッジではない別の場所から、通信回線を経由して返事が聞こえた。男が身を引くと同時にウィンドウが消える。
 サブロウタはのっそりとした仕草で足をほどき椅子から立ち上がった。
「あーもう、人使いが荒いな」
 後頭部をかきながらヘルメットを取り上げてドアへ歩き出す。センサが反応しドアが開く間、彼は肩越しに横顔を見せて手を掲げた。
「それじゃ、一足先に会場に行ってます」
「はい」
 手を振り返すルリに笑いかけて、サブロウタは大股で通路へと消えていった。
 ルリと一緒に彼を見送っていたハーリーは、妙に感心したように自分の意見を漏らす。
「はぁ、何だか皆、浮かれてますね」
 彼に視線を移したルリは、静かに尋ねた。
「ハーリー君は、楽しくないんですか?」
 いつもの真顔でルリに見つめられて、ハーリーは大慌てで手を振る。
「いえ、そういうわけじゃ……。ていうか僕が言いたいのは、確かに今日は特別な日かもしれませんけど、艦外から来て任務に就いている人達を差し置いて、っていうのはどういうものかと」
 ルリは少しだけ首を傾けて、彼に答えた。
「大丈夫。皆さんはその辺、心得てますよ」
 ハーリーはパネルに置いていた腕を組み難しい顔をする。彼とてクルー達の手腕を、不承不承ながらも認めていないわけではないのだ。だが今日の騒ぎ方はあまり気に入らないらしい。
「艦長はそうおっしゃいますけど、僕は今ひとつ信用できないんですよねぇ」
「そうですか? でも私は、信じてますから――」
 そこでルリの言葉がふと、途切れた。ハーリーは腕を組んだまま下部ブリッジを何気なく見下ろしていたのだが、言葉を再開させない彼女を不思議に思って顔を向けた。
「艦長……?」
 ハーリーに促されたルリは、目を上げて作業へと話題を戻した。
「それよりハーリー君。明日の捜索範囲、プロットできました?」
 ルリは手にしていた紙の地図を持ち上げて彼に示した。
「あぁ、はい、終わりました。未踏の地形にパッシブ・センサの到達範囲を合わせてみると、こんな感じですが……」
 彼が小気味よくパネルを指先で叩くと、空中に二、三枚のウィンドウが現れる。平野、山間部、川、海などを色分けした地図の上に、折れ線で囲まれた図形が閃いていた。
 ルリは身を乗り出して図形をのぞき込んだ。
「良さそうですね。じゃあ、スケジュールに織り込んでおいてください」
「わかりました。……でも、あの」
 口ごもり始めたハーリーの顔を、ルリは正面から見つめる。
「何?」
 ハーリーは顔を上げてルリに向かい合った。
「僕、聞きたい事が。艦長は――」
 そこで急にブリッジのドアが開き、オペレータの制服を着た三人ほどの女性が黄色い喚声とともになだれ込んできた。
「ハーリーくぅん!」
「ぬわっ!」
 ルリ達よりもやや年上に見える彼女らは一瞬にしてハーリーの周りに群がり、あまりの事にのけぞっている彼の頭をなでたり手をつかんだりし始めた。
「ハーリー君、もう乾杯始まっちゃうよ?!」
「早く行こうっ」
 ハーリーはうら若い女性達の渦中でもがきながら、どうにか抵抗を試みていた。
「皆さん、ちょっと……っ。僕はまだ」
 そこへルリの平坦な口調が合いの手を入れる。
「たった今作業が終わったんで、どうぞ連れてっちゃってください」
「か、艦長!」
「やったぁ!」
 たまらず上体を乗り出すハーリーだったがたちまち彼女らに引き戻される。しかしそれでも何とか首を伸ばして、ルリに言葉を投げかけた。
「だったら艦長も一緒にっ」
 ルリは自分の席から立ち上がり上部ブリッジの床に立ったが、しかしハーリー達とは反対の、作戦室のあるドアの方へ一歩足を進めていた。振り返り手にした地図を掲げて小さく微笑む。
「私はまだ、片付けものをしたり、日誌をつけたりがありますから。だからハーリー君に代役を頼んだんじゃないですか」
「それは……」
 ルリはゆったりと身を翻してドアへと歩き出した。横顔で振り向き手を振る。
「今日で総てが終わるわけじゃなし。おっつけ合流しますから、聞き分けてください」
 素早く開いたドアの向こうへ、彼女は消えていった。
 ハーリーは、今はもう見えなくなったルリの背中を追っていつしか手を前へ差し延べていた。
 彼を取り囲んでいたオペレータ達は、互いに目配せをした後、彼に語りかけた。
「どうしちゃったのぉ、ハーリー君?」
「いつも一緒にいるくせに、今のせりふったら」
 しかしハーリーは彼女らに顔を向けず、手を下ろして、暗い声で返答した。
「わからないけど、何かいつもと違うんです。艦長、今にも消えちゃいそうな感じで……」
 オペレータ達は各々肩をすくめたり首を振ったりしている。しかしハーリーの後ろに立っていた一人が、やおら腰をかがめて彼を羽交い締めにした。
「うぐっ」
 そのまま引きずり始める。
「艦長はお仕事、あんたも自分の仕事をするの! 何たって宴会部長なんだから」
「ちょ、ちょっとぉ!」
「聞き分けろって言われたじゃない」
 ハーリーは抵抗をやめ、引っ張られてゆくに任せた。かなり不格好な様子ではあったが、しかし彼はかまわず心細げなまなざしをドアの方へ投げていた。
「艦長……」

 予定を多少オーバーして片付けを終えた後、日誌をつけてから、ルリは部屋を出て舷側の通路を歩いていった。クルーのほとんどが集まっている食堂へ行くにはずいぶんと回り道となる。そのせいもあって、通路には彼女以外の人影が全くない。照明も控えられており、向かって左側の側面に大きく取られた透過素材製の窓が見せる外の暗闇と相まって、寂静を際立たせていた。
 ルリは、静けさのただ中でふと立ち止まった。窓辺に身を預けるように寄り、手すりに白い手を添えた。
 海岸線沿いの森が多いこの地域には民家が少なく、地上は暗く広がっていた。空も月明かりは宿しておらず、瞬く数々の星だけが今の世界の灯火である。
 ルリは星々を目でたどって顔を上げた。三つ並んだ明るい星を中心とする特徴的な図形がすぐに見えてくる。
「オリオン座……」
 天文学だけでなく世界各地に残る星の伝説を一通り知識として持っている彼女は、その星座の示す意味合いを、意識せずに自分の脳裏に浮かばせていた。
 あるものは曰く、巨大な牡牛に立ち向かう勇者の姿だと。
 しかしイメージは変容し、過去の記憶が形を取り始めた。
 ――得体の知れない何かと、戦い続けた日々。ナデシコという船に乗り、たくさんの人達と出会い、幾つもの危地をくぐり抜けてきた。そこで見つけたのは、気づいたのは、大切なもの……。
 空の高みから小さな光を投げかける星を、物思いに沈んだ瞳でルリは再び見た。――あの星座が南中を過ぎる頃、日付が変わる。年が明ける。新しい百年が始まる。
 だがあの船は、宇宙の彼方へと消えてしまっていた。あの頃やっと気がついた『故郷と呼べる場所』は、もうない。船を追われ、それでも明るく笑って慎ましく生きていた人達も、この世にはいない。
 自分だけが――。のうのうと生き延びて、ナデシコBの艦長席に収まり次の世紀を迎えようとしている。こんな非道な事が許されるのだろうか。
 ルリはいつしか顔を伏せてしまい、手すりの上で握られた自分の手の甲を眺めていた。ナデシコBに乗ってからの忙しい日々の中で、少しずつわだかまっていった思いが彼女を捕らえ、容易に動かそうとはしなかった。
 その時、傍らで通信回線の開く音が聞こえた。いつもより長く二呼吸ほどおいてから、ウィンドウが開いた。白い背景の上に『艦長』と書かれた文字が浮かび上がっている。
「オモイカネ」
 ウィンドウは返事をするルリに少し近づき、表示の内容を変えた。いったん画面を消した後、下から別の文字がそろそろと上がってくる。そこには『ルリ』と書かれていた。
 ルリは窓を背にウィンドウの方へ向き直った。それまでの自分の気持ちを押し払おうとするかのように、強いて口調を和らげて語りかける。
「私の事、名前で呼んでくれるのはお前だけになっちゃったね」
 オモイカネはもはや表示を変えることはなく、白い画面を彼女に対峙させるだけだった。
 やがて音とともに、もう一つのウィンドウが開いた。そこには、見たことのあるミラー・ボールと照明、その下に集って騒がしく談笑している人々の姿が映っていた。新世紀へのカウントダウン会場となっている食堂の映像である。
「皆……」
 オペレータ、厨房担当、通信班、医療チーム、機関部、整備班などなど。様々な部署に属するクルーが会している。
 ルリは口をつぐんで、彼らの表情を順に眺めていった。一人一人の名前や所属、身上書に書かれている情報以外に、彼らと直に会話することで感じ取れた考えや感情。改めて思い返すまでもなく、ともに過ごしてきたこの一年余りの間に、『ナデシコB』という場所を作り上げてきたのは彼らだったのだ。他の誰でもない、彼らだ。
 オペレータの女性達に囲まれながら、懸命に手を振りかざして何かを論じていたハーリーが、ルリの通信回線の存在に気づき大急ぎで走ってきた。
「艦長、片付け終わったんですかぁ?」
 紅潮した顔をウィンドウに入りきらないくらい近づける。
 ルリはウィンドウ越しの彼の目をまっすぐに見つめて言った。
「ハーリー君、お酒飲んだりしてないよね」
 ハーリーは必要以上にかぶりを振って否定する。
「滅相もない! 僕はですね、皆があんまりおかしな事を言うもんだから――」
 大きな手振りで弁解を試みる彼に気づいて、サブロウタもそばにやって来た。
「上がったんなら早く来てくださいよ。艦長がいなきゃ年も越せませんや」
「サブロウタさん」
 彼はハーリーを押しのけるようにしてウィンドウの正面に来ると、ルリの横合いを指さしていたずらっぽく付け加えた。
「寄り道もいいですけど、ちゃんと艦長の席も用意してあるんですから」
 どうやら彼は、ルリの背後の景色から、舷側の通路にいることがわかったようだ。
「……私の分の食べ物も、残しておいてくださいね」
「もちろん。シェフ特製のチキン・ライスもちゃんと控えてますって」
 サブロウタの目をひととき見て、ルリは手すりから手を離した。
「ありがとう」
 彼女の声はあまりに小さく、にぎやかな会場にいる彼らには聞こえなかったかもしれない。しかしルリは、オモイカネやサブロウタらとの通信回線を切って、食堂へ向け歩き出した。
 ――ここがいつか、私の新しい『故郷と呼べる場所』になるのだろうか。
 そう考えると、ルリの胸は我知らず痛んだ。つまり今は、そのような場所だと思えていないという事なのだ。それだけ簡単には、以前の自分の思いを捨てることができずにいると、改めて知らされる。
「急がなきゃ」
 だが彼女は、足を早めつつ自分の考えを押しとどめた。――自分だけの考えに流されてしまうのは良くないし、私らしくない。
 エレベータの扉が開くと、明かりと人の声が漏れている食堂の入り口はそう遠くはなかった。
 イベントの会場へと足を踏み入れ、ルリは室内に声をかけた。
「お待たせしました」
 すぐに陽気な返答が戻ってくる。
「待ってました!」
「艦長ーっ!」
 彼女はお辞儀をしながら、部屋の中程へと進んでいった。
 ふと目を上げると、サブロウタとハーリーが、小さな椅子の両脇に立って待ち構えている。
 彼女は目を見開いて一瞬足を止めた。が、胸に手を当てて肩の緊張を解き、彼らの方へと歩みを進めていった。手を当てた辺りが暖かくなり、自然と柔らかい微笑みが口元にこぼれてくる。
 ここが自分にとってどんな場所になるかは、まだわからない。でもナデシコBにはこの人達がいる。今はこの人達とともに航海を続けたい、ルリはそう思った。

- 了 -

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あとがきのようなもの
いかがでしたでしょうか。どちらの船もクルー達も、 ルリにとってはかけがえのないものになってゆくのかも しれませんね。

このお話について感想などありましたら Adelieまでお知らせいただけるととても嬉しいです。


Copyright (c) 2005 by Adelie